2012年4月19日木曜日

元離宮 二条城桜その2

二条城は江戸時代の城で1603(慶長8)年、初代将軍徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として建築された城である。天守閣は当初もなく戦乱や籠城を意識した建物ではなく、その呼び名も“二条新御所”とか“二条亭”などと呼ばれていた。
唐門の「御所御車返し(ごしょみくるまかえし)」の桜二条城は“二条新御所”とか“二条亭”などと呼ばれていた三代将軍家光により伏見城から五層の天守閣が移築されたが1650(寛永3)年に落雷により焼失、その後、二条城の天守閣は再建されず現在に至っている。
遅咲きの桜の花、寒山大輪で一重の白い花さかせる太白(たいはく)桜1867(慶応3)年、十五代将軍徳川慶喜が二条城二の丸御殿で大政奉還を宣言し歴史の流れの大きな転換がなされたことは有名である。京都二条城は幕末まで将軍家の栄枯盛衰を見守った。
八重咲きの一葉(いちよう)花が垂れ下がる雨宿(あまやどり)は満開この地は平安時代の大内裏、神泉苑、冷泉家など貴族の邸宅があったところで、東西約500m、南北約400mの長方形の総面積275000㎡規模を誇る広さである。
花の匂いがするという滝匂(たきにおい)桜の原木は平野神社にあるという手弱女(たおやめ)桜10日、東大手門から入城して桜だよりの情報につられて二条城へ観桜に行ったが、清流園と緑の園は山桜と染井吉野が7分咲きで桜の園や西側の八重紅しだれ桜はまだだった。そして17日再度二条城へきた。 桜品種の一覧マップをいただき、まず唐門の「御所御車返し(ごしょみくるまかえし)」の桜を観て「桜の園」に向かった。
黄色いタンポポと八重紅枝垂桜仙台市の遠藤市長が植えたことから遠藤桜ともいう二条城桜品種一覧表には22品種の桜の花が掲載されているがまだ普賢象の桜の花は蕾が固くこれからだった。 ここは名前の通りたくさんの「桜の園」の品種が植えられている。 最初は太白(たいはく)、大輪で一重の白い花さかせる。遅咲きの桜の花は寒山、少し蕾もあった。となりは八重咲きの一葉(いちよう)は一つの雌しべが葉に変化したという。溜め息の出るような桜を愛でた。 花が垂れ下がる雨宿(あまやどり)もあった。佐野桜(さのざくら)は、桜守で有名な佐野氏が山桜の実生、約1万本の中から選抜した品種だという。次は花の匂いがする滝匂(たきにおい)、どんな匂いか嗅ぐのを忘れてしまった。 また桜の原木は平野神社にあるという手弱女(たおやめ)桜もあった。
西側の「八重紅しだれ桜」余り数が多く忘れてしまった南中仕切門を通り西側には「八重紅しだれ桜」に気をとられた。城内には、50種約400本の桜の木があり、3つのエリアに分けて植栽されておる。ことしは春の訪れが遅く、17日になって二条城の桜の園や西側の八重紅しだれ桜や緑の園が「満開」になった。
城を一周して緑の園、紅枝垂れ桜が満開松月桜?二条城の一こまに過ぎないが日本人は桜を愛でるこころがあってよかった。二条城は1994年(平成6)には世界遺産に登録され外国人観光客も多数いるが、全国から訪れている方々も多い。

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