2009年6月29日月曜日

第9回グランドゴルフ競技大会

第9回グランドゴルフ競技大会レジュメ
西京チームに市長より団体優勝の賞状が贈られた
28日、南区の東和小学校校庭でグランドゴルフ競技大会が開催された。
この大会は第9回グランドゴルフ競技大会で、いつも、梅雨時とあって雨天に泣かされてきた。主催京都市・NPO法人肢体障害者協会によって大会が開かれた。
京都市10区の大会参加人数は100数名、午前10:00から開会宣言や来賓の挨拶が行なわれ、全年度優勝チーム上京区から力強く高らかに選手宣誓がされた。 大会委員長から賞状を授与
ボランティアが賞品を渡すこの大会は小学校の校庭を拝借して行なうため、いろいろルールも審判長から注意がなされた。と同時に、肢体障害者協会ではボランティアとして今年は京都医療専門学校(伏見区竹田)と京都福祉 専門学校(宇治市小倉)の若い人たち15名が参加している。
私は西京区のメンバーと団体戦にエントリーをすることにした。代表に選ばれた4人の面々はグランドゴルフの経験はズブの素人だ!年に一度くらいは経験があるが、全く初めての体験に等しい。
競技大会をつけたこの大会、6ホールもあり、ルール・コースも違うし緊張もする!
ボランティアは3人で構成、1人はスコアカードを記入、他の2名は打球の行方を把握する。
味方の「がんばってー」の声に応援されても中々ボールが思うように転がってくれず、コースを外れる!
コースの中には丸い島(池)がある、これに摑まれば一打プラスされて不利になる。
グランドゴルフはゴルフの競技とほぼ一緒で8ホール(アウト・イン)をまわり、その数が最も少ない人が1位となる。
京都10区のうち8ブロックの団体戦は白熱の中に終了し個人戦に入った。私たちは西京区4人は四苦八苦しながら参加することに意義があると心に決めて6コースを回り終えた!コースの中には丸い島(池)、これに摑まれば一打プラス、不利になる
どうせ上位は無理なことと諦めていた・・・第1位から3位まで賞品が飾られてあるが、どうせ上位は無理なことと諦めていた・・・ところがどう言う巡り会わせか西京区が優勝!と報せがとどいた。
私は半信半疑?で信じられない気持ちでいた。でも、その方は本部席でちらっとみたというのだ!えっーまじかよ!
スコアカードの合計得点はみるに忍びない。思いもよらず、優勝だった。
全て競技が終え、表彰式に入った。西京区(^_^)vおめでとう
賞品、開封すると・・第一位西京区、嘘のような本当なこと、奇跡としか言いようが無い!
二位は上京区、三位は山科区だった。個人戦は5番か6番定かではないがホールインワンも記録した女性のMさんだった!
梅雨だと言うのに夏空を思わせる太陽は一日ギラギラと輝き、第9回グランドゴルフ競技大会は幕を閉じたがラッキーな日だった。
いま、障害者やお年寄りなどグランドゴルフは静かなブームを呼んでいる。

2009年6月28日日曜日

フリーカフェ おかきの播磨屋

フリーカフェ「おかきの播磨屋本店」
利益還元の一還
地下鉄烏丸線丸太町で下車して三筋北へ行くと噂のフリーカフェ「おかきの播磨屋本店」がある。今、東京・虎ノ門、若者にも人気・ビジネス街の一等地に5月にオープンしたカフェが早くも大盛況だという!
播磨屋ステーションは全国に6店舗があり、京都店のほか、東京霞が関店・福岡店・大阪江坂店・大阪天王寺店・姫路店にフリーカフェが展開されている。
今回はそのうちのひとつ、京都店を訪ねた。
土曜日の2時アフタヌーン、恐る恐る入ってみると…2階の広い店内は満員だ!
ゆったりとした落ち着いた雰囲気BGMが流れている。
左のカウンターは順に飲み物・おかきが並んでいて常時店員さんが、おかきや飲み物の補充している。 飲み物はコーヒーやほうじ茶、ジュースなどが用意されていて好きな飲み物を注いだあと、6種類のおかきが入った壺から、お皿に入る分だけ盛ることができる。但しおかきは最初だけでお代りはできない。飲み物は自由にいただける。
私は6種類のおかきを数枚取り、飲み物はコーヒーにした。「無料」とは分かっていながらも、やはり「タダ食い」には少し抵抗がある!不安な気持ちになりながら、食したがカフェでおかきを食べるというのは不思議な気分だった。おかきの味は種類によりそれぞれ違い、一皿でさまざまな味を楽しめる。コーヒーを飲み、おかきを口に・・・一皿では物足りず、もっと食べたくなる味だった!
周囲を見れば、おかきを山のように皿一杯用意した人が何人もみられた!
ご夫婦で来店のお年寄りやお子達のご家族、カップルや読書に耽るお一人の方々もいる。私の訪ねた土曜日は休日だったため、お客さんが増えて満席になり、混み合い場内放送していた。
御所の南西に位置し下立売門が見えていたが窓際の景色が見える席は空いてなく座れなかった。
“大いなる自由へのいざない”をモットーにユニークな企業のボランティ活動を播磨屋ステーションは先駆けている!利用者同士はもちろんのこと、お店のスタッフの立場にも配慮がいることを忘れず、お互いの理解を尊重しマナーを守って利用したい。
なお、京都店は平日に500~700人、休日は約1000人のお客さんが来店するという。 播磨屋ステーションはちょっとした休憩に最適だ。
播磨屋ステーション京都
営業時間:午前10時~午後7時
定休日:なし 駐車設備:フリーカフェなし
地下鉄烏丸線丸太町駅2番出口より北へ徒歩3分

2009年6月26日金曜日

天得院 キキョウの花

八重のキキョウ
東福寺塔頭の天得院入口京都・東山の東福寺塔頭の天得院は、キキョウの寺としても親しまれている。
緑の濃さも増し枯山水庭園ではスギゴケが一面に広がりキキョウ(約300本)が咲き青紫や白の可憐な花の見ごろを迎えている。瓦には「桔梗」紋
青紫や白色に凛と咲くキキョウの花が美しい天得院は南北朝時代、東福寺住持無夢一清(むむいつせい)禅師によって創建された。慶長19(1614)年、 臨済宗東福寺の塔頭で、文英清韓長老が住持となった。清韓は豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇され、秀頼の請に応じて方広寺の鐘名を撰文したが、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家康の怒りを招き、寺院は取りこわされた。現在の堂宇は天明9(1789)年に再建されたもので、明治元(1868)年には山内の塔頭本成寺と合併して今に至る。 キキョウと緑鮮やかなスギゴケが調和する
眼を奪われる方丈庭園の桔梗
また種田山頭火や尾崎放哉を輩出した荻原井泉水の句碑もある。
石のしたしさよしぐれけり井泉水 この句は当院隠棲したときに詠まれたもので句碑は亡くなった昭和51年に建立したとある。
桃山時代に作庭された枯山水庭園は、一重や八重のキキョウの花が咲き乱れている。
小さな背丈のキキョウ荻原井泉水の句碑
初夏の風物詩、青紫や白色に凛と咲くキキョウの花が美しい!
天得院は青紫や白のキキョウと緑の鮮やかなスギゴケの美しさが調和する小さな寺である。塀の外側には二度咲きの萩と紫陽花が咲き、天得院は知る人ぞ知る花の名所である。二汁五菜の「桔梗膳」も味わえる。
いま「桔梗を愛でる特別公開」中である。
縁側でゆっくりと腰を下ろしキキョウを楽しんでいる華頭窓からキキョウを見ると天得院では寺院を開放し、訪れた人たちに縁側でゆっくりと腰を下ろし初夏の眺めを楽しんでもらえるよう、ライトアップやすず虫も用意している。
その他の写真
「桔梗を愛でる特別公開」
■場 所:東福寺・天得院
■拝観時間:9:00~21:00 ライトアップ:日没~20:30(受付終了)
■期 間:6/12(金)~7/17(金)
■拝観料金:300円
 お茶席:500円「桔梗膳」3000円(11:00~14:00)要予約
■アクセス:市バス208・202「東福寺」下車徒歩10分
      JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅下車
■お問合せ:075-561-5239

2009年6月25日木曜日

京・奥嵯峨 祇王寺

悲恋のヒロイン祇王が隠棲した祇王寺の門
道の左端入口に石柱が立っている
梅雨の晴れ間を見て平家物語ゆかりの苔庭・祇王寺を訪ねた。
祇王寺は、二尊院から奥嵯峨野方面へ向う。道の左端に石柱が立っていて滝口寺、壇林寺、祇王寺の名を刻んでいて目的、祇王寺には約2分余で到着する。そこは小倉山の麓で美しい楓と竹林に包まれたところ、表門は普段閉じられている。苔庭の緑が心を癒してくれる脇の門から入るとこの表門をくぐり境内へ
祇王寺は、大覚寺塔頭で真言宗の尼寺で、法然上人の門弟良鎮(りょうちん)が創建、往生院の跡と伝えられる。往生院は江戸末期まで存在していて、その後荒廃、ささやかな尼寺として残り、のちに祇王寺と呼ばれるようになった。
平家物語の巻頭に、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し・・・・・・平家全盛の頃、いわゆる平清盛公を中心とした2人の女性の哀れな物語である。祇王寺は小さな本堂、仏間には本尊の他、祇王、祇女、刀自、仏御前の4尼と清盛の木像が祀られている花一輪、百合の花
その頃、都に聞えた白拍子の上手に祇王・妓女(ぎおう・ぎじょ)と言う姉妹があった。近江の野洲江辺庄の生まれ。母刀自(とじ)と共に京都へ出て白拍子となり、のちに姉の祇王が清盛の寵愛(ちょうあい)を得て、妹祇女も有名、毎月百石百貫の手当てもあり、安穏に暮らしていた。ある時清盛が祇王に、何か欲しいものがあるかと尋ねると、祇王は、自分の生国は水の便が悪く毎年旱害を受け、一庄三村は飢餓に苦しんでいるから願わくば、水利を得させて頂きたいと願った。清盛は早速、野洲川から三里の溝を掘らせ水を通した。里人はこれを徳とし溝を名づけて、祇王井川と呼び今に至っている。庭の奥に本堂が望める。。
本堂の控えの間、吉野窓、影が虹の色に現われるというところがここにきて加賀の国の者で、仏御前と呼ばれる新たな白拍子の上手が現われ、西八条の清盛の館に行き、舞をお目にかけたいと申し出た。清盛は
神とも言え、仏とも言え、祇王があらんずる所へは叶うまじきぞ、とうとうまかり出でよ」・・と門前払い
このまま門前払いにしておけば、この祇王寺はなかったが、祇王本人がやさしく取りなし呼び入れ、今様を歌わせたばかりに、清盛は仏御前の舞や歌のうまさに心を奪われたちまち仏御前に心を移した。昨日までの
寵愛は何処へやら、祇王は直ちに館を追い出される派目に・・せめてもの忘れ形見にと障子に 本堂の正面から庭を眺める
庭一面の苔、種類は12もあるとか!萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草
        何れか秋に あはで果つべき
 と書き残して去って行く。
あくる春になって清盛はいやしくも仏御前が退屈しているから舞を舞って仏をなぐさめよと使者をよこすと、祇王はもとより行く気がなかったが母の哀願に抗しかね、西八条の館へ出向き
仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり 
  いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ
 と歌い舞った。
これには並み居る諸臣も、涙を絞ったと言う。祇王は
かくて都にあるならば、又うき目を見むづらん、今は都を外に出でん」とて、祇王21歳祇女19歳刀自45歳の三人、髪を剃って尼となり、嵯峨の山里、この祇王寺の地に世を捨て、仏門に入る。右が平清盛の供養塔、左が祇王、祇女、刀自の墓。
母子三人念仏している所へ竹の編戸を、ほとほとたたく音が・・昼間でも人の通わないこの山里、出てみると、思いもかけぬ仏御前が剃髪の姿で立っていた。
祇王の不幸を思うにつれ、何れか秋に あわで果つべき、と書き残された歌を無常に感じ、今朝、清盛公に内緒でこっそり館を出てきたと言う。
仏御前17歳、浄土を願わんと深く思い込みその後は四人一緒に籠って朝夕の仏前に香華を供えて、みな往生の本懐を遂げた
。』祇王寺説明文参照 
尚、仏御前のお墓がここにないのは、その後出生地の北陸へ帰り余生を過ごし極楽往生したと言う。奥嵯峨・祇王寺は、哀れな白拍子四人が隠棲した悲話を感じた!新緑の季節、静かに座りながら苔庭を見つめていると、緑の絨毯が眼に眩しかった。
住所: 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
電話番号:075-861-3574
拝観時間:300円 障害者100円
拝観料:9:00~16:30
交通: 市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩約15分
    JR京都駅から嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車徒歩約40分

2009年6月24日水曜日

妙心寺塔頭・退蔵院

玄関は、袴腰造り
退蔵院の正面の山門
京都花園に位置する妙心寺塔頭・退蔵院に行った。
今から600余年前、室町時代の応永11年に京洛に居を構えた、波多野出雲守重通が妙心寺第三世無因宗因禅師に帰依して建立された寺である。現存山内寺院40余寺中、屈指の古刹である。中興の祖亀年禅愉は後奈良天皇の御帰依深く、特に照天祖鑑の国師号を賜った。
退蔵院の正面の山門は妙心寺塔頭でもバランスの整った美しい形状を残した「薬医門」であると言われており江戸中期に建設された。「勅使門」は親柱二本、控え柱四本からなっており、様式名を「四脚門」という。
玄関は、袴腰造りと呼ばれるもので、「袴腰の大玄関及方丈・昭和41年指定(重要文化財)」がある。破風の曲線が直線になっており、非常に珍しく袴の腰のようになっているという。
江戸初期の富豪比喜多宗味居士より寄進されたもので、法要儀式その他高貴の人々の出入り以外は使用されなかったという。
退蔵院・本堂国宝『瓢鮎図(ひょうねんず)』次に、方丈は退蔵院の目玉で「国宝」に指定されている『瓢鮎図(ひょうねんず)』が飾ってある。この絵は、山水画の始祖、如拙の作品で、将軍・義持の命により心血を注いで描き、現存する彼の作品中逸品の傑作といわれている。
「鮎」とあるのは「なまず」のことで、普通「なまず」は「鯰」という字を書くが、中国由来の「鮎」と表記されている。
この瓢鮎図は、芦の生える川の畔に、一田夫が両手で一瓢を押さえて立ち、水中に泳ぐ魚を捕らえんとする光景が見られる。「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」なお、如拙の門流には周文・雪舟また元信など狩野派に大きく影響を与えているという。陰陽の石庭史跡名勝枯山水、元信の庭
元信の庭もあるが、室町時代の画聖狩野元信の作品で、絵画的な優美豊艶の趣を失わず、独特の風格を備えている庭園だ!
「枯山水」が禅宗寺院の「方丈庭園」をして発展していった訳は、山・川・海・の大自然で『大宇宙全てを限られた広さの中で表現する』ものと言われているのだ!禅宗哲学の根本ときっても切り離せない独特の世界があった。また父正信のもと、創造した狩野派画法の基礎を確立した。
退蔵院方丈庭園「元信の庭」は、画家としてもっとも円熟した70歳近くの頃の築庭とされている。描いた絵を再度立体的に表現をしたもので、最後の作品が造園であったことで珍しい作品の一つと数えられている。奥へと進むと余香苑がある。大休庵で抹茶を嗜むご婦人
余香苑は四季折々の草花や樹木が楽しめる余香苑は伝統的な厳しさの中にも優雅さを含んだ名園。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることがあげられる。
この広大な庭園は造園家中根金作氏の設計で昭和38年に着工、41年完成した。池の形状は瓢箪になっていて四季折々の草花や樹木が楽しめる。最近まで、余香苑の瓢箪池には「鯰」が生存していたというが、残念ながら死んだと説明していた・・・また、大休庵で庭園を鑑賞しながら、抹茶を銘菓「瓢鮎菓子(500円)」とともにご賞味いただける。 銘菓「瓢箪と鮎の菓子」
余香苑東屋人々に癒しを与える音としても注目を浴びている「水琴窟」もある。江戸時代に庭師が考案したといわれる日本庭園の巧妙な装置は、明治から大正にかけて流行、いま、再び静かなブームを呼び起こしている。
なお、方丈内の襖絵と「囲いの席」は普段非公開だが特別公開もある。

場所:京都市右京区花園妙心寺町35 
電話: 075(463)2855(代)
拝観時間: 午前9:00~午後5:00
お抹茶:余香苑大休庵にて※別途500円要
拝観料:400円● 障害者250円
交通:電車 JR嵯峨野線「花園駅」下車徒歩10分
   バス 京都バス・市バス「妙心寺前」下車徒歩5分

2009年6月22日月曜日

鞍馬山 奥の院・魔王殿

これより奥の院の石段にはいる
浄城への結界、仁王門つづき・・・20日午後2:00からの鞍馬寺の竹伐り会式に参拝したが、まだ午前10:00前、時間もたくさんあり奥の院魔王殿に行くことにした。俗界から浄城への結界、仁王門。普明殿ケーブル山上駅にて乗車。2分で200m上り、多宝塔がみえる。本殿金堂までは500mは近道だ!多宝塔
山上駅本殿金堂は近い

鞍馬山の石段は閃緑岩(せんりょく)といって鞍馬寺入口は石英閃緑岩で大自然の宝庫。奥の院は本坊金剛寿命院、鞍馬寺寺務所横から入る。全く平地が無く石段で坂道になっている!
與謝野昌子(書斉)冬柏亭寺務所横から奥の院は向う

與謝野鉄幹・昌子歌碑や(書斉)冬柏亭もある。一方反対を見れば霊宝館、博物館で鞍馬山の文化財や動植物の標本が展示してあるが次の機会として、奥の院へと先を急いだ!牛若丸が武道の修行途中、のどを潤した湧き水(息つぎの水)もある。急な坂の石段はさらに奥へ奥へとつづいた!
ふと道中で滋賀の立木山をおもった。立木山の石段もきつかったが、それにも増して鞍馬山もきつい!5mか10mくらい歩いては立ち止まり、息を整える。
少し不安が頭を過ぎる・・・手摺りに摑まり一歩・一歩、歩く、誰のためでもない、自分のリハビリのために・・・根性だけは人一倍ある。屏風坂の地蔵堂を拝みながら! 奥州に下る牛若丸が名残りを惜しんだ背比べ石大杉権現にあった道しるべ
みちのく奥州に下る牛若丸が名残りを惜しんで背丈を比べたという、背比べ石もあった。また、岩盤が固く地下に根を張れない木の根道。見事な模様に疲れも飛んだ。「護法魔王尊影向の杉」として、千年近い樹齢を保つ大杉権現、多くの人々からの信仰を集める。 義経堂
岩盤が固く地下に根を張れない木の根道ここから下りの石段だが上りの時より、下りの方が注意が要った。それに左手に手摺りはない!あと、奥の院魔王殿の距離は500mもない。
慎重に一歩一歩下っていったらお堂らしきものが見えた。やっと着いた!と喜んだら、そこは僧正ガ谷不動堂だった。また、ここには源義経公を祀る義経堂があり、護法魔王尊の脇侍「遮那王尊」として祀られている。お不動さんや遮那王尊に一礼して、右手やや坂を上る、辺りは木の根道で要注意が必要である!
やっと奥の院魔王殿に着いた。さっそく、無事到着のお礼の感謝を述べ礼拝をした。 杉の根がそこ此処に露出している
奥の院魔王殿650万年前、金星から地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司る護法魔王尊が安置されたという。また、日本の庭園の源流といわれる磐座(いわくら)である。先に到着された方にお話を伺った。この時期ホトトギスの啼く頃、人も少なく歩くには最高に良い。秋になれば観光客で満員になるとか・・・奥の院から貴船神社までの距離は僅か640m、30分強で向える。樹齢800年の大杉木
矢を入れて背に負う靫から執ったというしかし、私には竹伐り会式を観る目的がある。汗が乾くまもなく奥の院魔王殿を後にした。
上り下りの石段の高低差があり、手摺りの無い場所は必要以上に注意がいった。
なんとか、鞍馬山の奥の院魔王殿にもお参りできた。九十九折参道から由紀神社を通って帰った。由紀神社と言えば10月22日鞍馬の火祭りで有名である。一度是非来て見たいと思う・・・
鞍馬山から吹く風に明るく元気よく生きるための活力を得た気がする日だった!
おわり。